イケメン免疫ゼロ
新学期が始まり、眼鏡をかけていたあるクラスメイトが、今日から晴れてコンタクトデビューを果たした。
今日授業を受けていたら「あれ?こんなかっこいい人居たっけ?」と思う程のイケメンになっていた。
「メガネとったらイケメンじゃん!!」
これは少女漫画とかによくある現象である。
こんなことが現実に起きるとは思わなくて、私は自分の人生に困惑した。
見れば見るほど、私好みのイケメンである。
ついつい見とれていると、彼がこっちを向いた!
目が合った瞬間ドキッとして、慌てて目をそらした。
イケメンに免疫がない私には、あまりにも過激な事態であった。
次の授業は、少人数制のクラスであった。
少人数というのは、授業は分かりやすいが、周りとのコミュニケーションも必要となってくるものとなっており、人と関わるのが下手くそな私にとっては、とても難易度が高い授業だ。
授業開始五分前となり、クラスへ足を運んだ。すると、なんと、あのイケメンが目の前に座っているではないか!!
しかも、みんなの集合が早く、空いているのはイケメンの隣の席。
私は失神しそうになった。
これは、過去最高と言って良いほど、私にとって難易度の高い授業となる予感がした。
苦手なフランス語の授業だが、今回だけは、ヘマをしたくない!頑張らなくては…!!
そんな事を考えていた矢先、先生が一言。
「キミは、隣のクラスだよ、クラス違うよ」
あ……(やらかした)
隣でキョトンとしているイケメンを見た途端、とても恥ずかしくなり、テンパった私は、「あれまぁ、こりゃすいません!」的なオバちゃん言葉を並べ、慌ててカバンをそこら中にぶつけながら、その場を去ることになった。
きっと、なんだかよく分からんが、マヌケなオバちゃんというイメージを残してしまったことは確実。
心臓はバクバクするし、動きは変になるし。
イケメン免疫ゼロの私に、イケメンは体に悪い。
「吉沢亮がクラスに居たらいいのに〜」なんて口にしていた私は大バカものだ。
そんなことが起きたら、しんでしまうではないか。
結論!イケメンは、現実に存在するより、テレビで見るのが一番。
こうして私はなんとも情けない新学期スタートを切ったのであった。
永遠の研修生
私はバイトを始めるといつも研修生止まりになってしまう。
初めてのバイトはアイスクリーム屋さん。
なんでもゆっくりしか行動できない私が、とても早いスピードで溶けてゆく品物を扱う仕事をなぜ選んでしまったのか。
アイス界は、アイスが好きという理由だけではやっていける世界ではないと学んだ。
アイスを丸めるのがままならないぐらいなら良いのだが、使用済みのスプーンをぶちまけたり、食い逃げをされたり、数々の失態を犯してしまった私は、一年ほど続けた後、「仕事ができない研修生」というレッテルを貼ったまま、辞めることとなった。
今思い返せば、「クビ」という形で辞めることにならなかったことを感謝しなければならない。
↑お客を突如襲うスプーン
「あんたはバイトなんて向いてないから大人しく勉強してなさい」
と親から言われたにも関わらず、私はまた新しいバイトを見つけた。
コンサートスタッフのバイトだ。
コンサートスタッフは1日でバイトが完了し、日給も良いと友人から聞いたので、「こりゃ、やるしかないね」と思って挑戦した。
しかし、田舎住みで都会には遠方の私は一度も仕事をふられることもなく、自然消滅という形で辞めることとなった。
最後に、今のバイト先の話である。
今のバイトはかれこれ2年ほど続けている。
優しい店長さんや店員さんに囲まれ、楽しく働かせてもらっている。
しかし、仕事力を見抜く目は厳しく、いつまで経っても研修バッチが取れなかった。
知らないおじさんに、「あれ、あんたまだ研修やってるのかい」と言われる始末である。
「こっちも好きで研修やってるわけじゃないんだよ、あんた」と言い返してやりたい。
それからいくらか経ち、仕事も軌道に乗り出し、もうすぐ研修バッチも取れるかなと思った頃のことであった。
なんと店が別の名前に変わり、リニューアルオープンするのだという。
マニュアルも、服装も全て変更され、仕事内容も変わるため、全員がまた研修生となった。
もちろん私にも新たなる研修生バッチが手渡された。
あのおじさんに会ったら、「あんたまた研修だね」と言われるのだろう。
私の正アルバイトへの道のりは過酷なのであった。
アメリカのお菓子
私はアメリカのお菓子に詳しい。
特に現地のスーパーで売っているものくらいであれば、美味しいか美味しくないかくらいは識別できる。
習い事の子供達はだいたい中学二年生くらいになるとホームスティに行くのだが、
その度、子供達がよく買って来てくれるからである。
ホームスティに行ってきた子達は、帰国して数日経つと帰国報告会というものに参加しなければならない。
その会では自分の経験を模造紙にまとめたものを展示し、発表するという場面がある。
その時、展示物として海外のお菓子を展示する子供も多い。
突然だが、リコリスというお菓子を目にしたことがあるだろうか?
見た目はゴム。
食感もゴム。
そして、味もゴムだ。
赤色の黒色があり、赤色はほんのりイチゴの味がするので少しは口にすることが出来る。
しかし、黒色は一言で味を表現するのであればタイヤだ。
タイヤを食べたことはないが、食べたらきっとそんな味なのだろうな…という代物なのだ。
ほとんど口にする者はいないが、帰国報告会で、毎年必ず面白がって試食コーナーに展示する者がいる。
そして、並べられたリコリスは、ことごとくスルーされ、並べた者は開封してしまって食べるしかないリコリスを泣く泣く持ち帰ることとなる。
あの味のことを考えると、その子供の家族に同情してしまう。
私は「リコリスなんて、アメリカ人も本当はたべないんじゃないの?」と思っていた。
しかし、そんな私の想像は大ハズレであった。
母の職場先に、アメリカ人の職員さんがいらっしゃるそうなのだが、彼女はそれをとても美味しそうに食べるのだという。
なんでも彼女のお気に入りのお菓子だそうで、帰国した際のお土産として職場で配ったらしい。
日本人ばかりが囲んだテーブルには、案の定大量のリコリスが余ったそうなのだが、彼女は「赤と黒を一緒に食べるとヤーミー」と言って、喜んで残りを食べていたそうだ。
どこをどうしたらヤーミーなのか、さっぱり分からない。
私の妹も同様にホームスティに行った。
ケチな妹だが、今回ばかりは思い切ってくれたようで、海外から配達してもらうほどのお土産を買ってきた。
「はい、これがうちのお土産だよ!」
私たち親子はワクワクして包みを開けた。
これは…リコリス。
トリ頭
妹と喧嘩した際に
「お姉ちゃんのトリ頭!!」
と言われた。
妹は読書家で語彙が豊富なのだが、私は絵本や漫画しか読まないので難しい言葉が苦手である。
そんな私は妹から言われた単語が分からず、喧嘩の最中であることも、言い返すことも忘れ、ついつい考え込んでしまった。
はて、鳥頭とはなにか?
鳥に頭を踏まれてボサボサっとした頭の人のことだろうか?
それとも、頭の中に鳥を飼っているような、ひらひらと手を動かした馬鹿らしい人のことだろうか?
私は数日そんな考え事をしていた。
一人で考えていても仕方ないので、母に質問してみた。
すると、母も分からないと言うのだ。
これは困ったぞ。
母も分からない程難しい言葉なのか。
こうなったら、辞書に頼るしかないと思い、思い切って辞書を引いてみた。
(妹に直接聞かないところは姉のプライドである)
すると、鳥頭とは、「物忘れの激しいこと」「記憶力の弱いこと」の例えらしい。
なんて失礼な!!
と、普通の人なら怒るところだが、私は、あまりにも自分にぴったりな言葉過ぎて、怒るのも忘れ、逆に感心してしまった。
それにしても、鳥はこんな馬鹿にされた言葉に使われて怒らないのだろうか?
鳥にこんな言葉を知られたら、見つかった人間は総まとめでつつかれてしまうのではないか?
そんなことを考えていた。
その時私はハッとした。
そんなことばかり考えているから、私はいつも上の空で、ぼーっとしており、なんでも忘れてしまうのだろう。
やはり、鳥頭とは、私にぴったりな言葉なのだ。
治らない三日坊主
私は三日坊主だ。
日記は今まで何度もチャレンジしてきたが、続いた試しがないし、勉強も読書もすぐに飽きてしまう。
そのくせ、始める時だけは威勢がよく、毎日30ページは本を読もうとか、フランス語と英語を毎日やるとか、レベルの高い目標だけ立てて、すぐに挫折してしまうのだ。
そういえば、妹と一緒に「お掃除隊」と名乗り、家の掃除を毎日すると言い出したこともある。
それに関しては特に酷く、ポスターを家に貼りまくったあげく、一度も活躍しなかった記憶がある。
お掃除隊であるにも関わらず、ポスターを貼りまくり、逆に家を汚すというなんとも迷惑な団体であった。
そんな私が最近始めたがっているのは、イラストを描くことだ。
子供の頃の私はお絵かきが好きで、毎日毎日絵を描いていた。
だから、挿絵などを頼まれて描くのは私の唯一の得意分野と言えよう。
挿絵くらいしか描くことの出来ない私は何を描いて良いのか分からないため、模倣から始めることとした。
今日はさくらももこさんの作品を真似てみた。
流石マンガ家のイラスト。
シンプルに見えて、実に難しい。
絵は自分に似るというが、素の作品よりなんだか太った生き物が出来上がってしまった。
模写というものは難しいものだなぁ。
さて、三日坊主な人間はどうしたら続けることが出来るのかと考えた。
普通の人間なら大丈夫かもしれないが、三日坊主には「毎日」というのは荷が重すぎる。
だから、「描きたい時に描く」くらいの目標で勘弁してもらいたい。
しあわせな口癖
ちびまる子ちゃんの一年生の頃のエピソードを観たことがあるだろうか?
56話で見かけたのだが、大変可愛らしい。
その回のまるちゃんの言葉がとても可愛らしく魅力的だったので、今日は2つ紹介したい。
①「〜だ!うれしい!」
まるちゃんは朝ごはんを食べる時
「ももこのお茶わん 新しい!」
「かわいい!」
「うれしい!」
と言って大喜びしていた。
単純な言葉だが、最近あまり口にしないように感じる。
まるちゃんみたいに、「〜だ!うれしい!」と言う習慣をつけてみたいものだ。
そうすれば、小学生の頃のように、小さな幸せをもっと純粋に喜べるかもしれない!
②「生きてるだけで幸せだ」
まるちゃんはお出かけをして、空を見上げ、「いい天気!いい天気!こういう日は生きているだけで幸せだな」と言う。
天気や季節に関心を向けて、それを見られること、感じられることはとても幸せなことなのだ。
気付かず素通りしてしまう人はたくさんいる。
だから、それに気づけたら君はラッキーだ。
そんな時は、
「生きてるだけで幸せだな」
と言ってみるといいかもしれない。
だって、何を隠そう、今日生きているお陰で、その幸せに出会えたのだから。
三年生のまるちゃんも可愛いのだが、一年生のまるちゃんの言葉には純粋さが溢れており、さらに素敵だと感じた。
大人になって忘れてしまったものを思い出させてくれるようである。
さっきの言葉をいっそ口癖にしちゃえば、もっとハッピーかもね!
よーし、明日から是非使ってみよう!
台風がやってくる
私は小さい頃、何かと理由をつけて休みたがる子供であった。
幼稚園や学校が嫌いというわけではないが、単純に家にいることが好きだったのである。
家にいれば、漫画もテレビも好きなだけ観られるし、お菓子もたくさん食べられる。
なにより、朝ゆっくりと起きて、布団でごろごろできる幸せといったら…考えただけで幸福あった。
朝起きて、ベットで休む理由を入念に考え、親の元へ行き、しんどそうな演技をした。
しかし、考え過ぎたせいで、理由が「頭もお腹も全部痛い」という大掛かりなものとなってしまい、理由はあっけなく嘘と見破られ、泣く泣く幼稚園や学校の準備をしていた。
さて、明日は台風がやってくるということで不安がいっぱいである。
前回の台風では、家にあるバラのアーチが壊れ、近所の小学校は屋根瓦が飛ばされていた。
明日の台風では、電信柱も倒れそうという話がニュースでやっており、大変不安である。
大人になると、台風はとても怖い災害であるというイメージへと変わってくるものだ。
しかし、子供の頃は、台風といえば、私にとって大変楽しみなイベントのようなものであった。
台風が来ると聞くと、すぐさまテレビをつけ、自分の住んでいるエリアを確認した。
台風の進路に自分のエリアがあれば、それはもう大喜びだ!
朝から来るものであれば最高!
夜に通り過ぎてしまうものであっても、少しでも風が残れば休みになるかもしれない!
そんな思いでワクワクしていた。
家が揺れたって、アトラクション気分で盛り上がってしまう程、台風が来るということは私にとってとても嬉しいイベントだったのだ。
そして、いよいよ台風当日の朝、おやすみになるかならないか、テレビの「暴風警報」の欄を真剣にチェックする。
「大雨警報」や「雷警報」ではダメなのだ。
「暴風警報」が出ないと学校はお休みにならない。
「7時まで」「暴風警報」が出ているということが重要なポイントなのだ。
そして、時間になっても暴風警報が出ており、待望のお休みが決定すると、姉妹で大喜び!
家はお祭り騒ぎである。
早速ベットに帰ってごろごろし始める!
不謹慎ではあるが、どこの家庭もそういうものであろうと私は思っていた。
だが、大人になると、先程も述べたが、家は揺れるし、台風は恐怖でしかない。
明日はお昼に台風がくるということで、明るい分少し安心だが、油断はできない。
いつ避難になっても大丈夫なよう準備しておこう!
みなさんもどうかご無事でお過ごしください!
台風さんや、どうか穏やか気持ちで日本列島を越えていっておくれよ。